「あと一人、雇っていいですか」──人件費を「投資」として数え直した、美容室の話
投稿日:2026年10月10日

朝4時起きの名古屋の税理士の丸山です。
先日、閉店後の美容室にお邪魔しました。
顧問先の、市内で一店舗を営んでおられる美容室です。
看板の灯りを落としたあとの店内で、オーナーの社長に「そこ、座ってください」と鏡の前の椅子をすすめられました。
髪を切っていただくわけではありません。
数字の相談です。
鏡ごしに、社長が切り出されました。
「スタッフをあと一人、雇っていいですか。
求人を出したいんです。
でも、人件費が怖くて」
「怖い」という言葉が、私にはよく分かりました。
人件費は、固定費Fのなかでいちばん大きく、そしていちばん「戻ってこない」ように見える数字だからです。
人件費は、Fのいちばん大きな塊
MQ会計では、会社の数字をこの形で眺めます。
PQ = VQ + F + G
MQ = F + G
Fは固定費。
家賃、光熱費、広告費、そして人件費。
売れても売れなくても、毎月きまって出ていくお金です。
この美容室のFは、月にざっと380万円。
うち人件費が250万円です。
家賃が60万円、残りの70万円が光熱費や広告費などです。
Fの三分の二が「人」──これは多くのサービス業に共通する姿だと思います。
だからこそ、経営が苦しくなると、人件費はいちばん先に「削る対象」として名前が挙がります。
決算書の上でも、人件費は「販売費及び一般管理費」の一行、つまり費用の欄にしか出てきません。
ただ、美容室にとってスタイリストは、本当に「費用の一行」でしょうか。
私はそこに引っかかっていました。
美容室では、お客さまが払う代金のほとんどが「技術」への支払いです。
材料はシャンプーやカラー剤くらいで、お客さま一人あたりの変動費Vは驚くほど小さい。
人が、そのまま商品なのです。
「一人ぶんのF」を、MQに置き換える
この店の数字を、鏡の前で一緒に並べてみました。
お客さま一人あたりの平均単価Pが8,000円。
カラー剤などの材料費Vが800円。
ですからMは7,200円、m率は90%です。
月に約600人のお客さまが来られて、MQは432万円。
Fの380万円を差し引いて、Gは月52万円でした。
さて、スタイリストを一人増やすと、Fはいくら増えるでしょうか。
社長が考えておられた給与は月28万円。
ここに社会保険料の会社負担や、道具・研修などの経費を足すと、月およそ35万円がFに上乗せされます。
年にすれば420万円です。
ここで私は、その35万円を「出ていくお金」ではなく「戻ってくるはずのお金」に置き換えて眺めてみたい、と社長にお話ししました。
35万円のFが増えたぶん、MQが35万円増えれば、会社の利益Gは1円も減りません。
では、MQ35万円とは、お客さま何人ぶんでしょうか。
35万円を、一人あたりのM7,200円で割ります。
答えは、約49人。
月25日営業なら、一日に2人です。
新しいスタイリストが、一日に2人のお客さまを担当できれば、その人の人件費はまるごと「元が取れる」ことになります。
3人目からは、7,200円ずつ、そのままGに積み上がっていきます。
鏡ごしに、社長が少しだけ目を見開かれたのが分かりました。
損益分岐の「一人」
「一人雇うと、月35万円かかる」という数え方と、「一人雇うと、一日2人でトントン」という数え方は、同じ事実を語っています。
ただ、前者では人件費は「削るか、我慢するか」の数字にしか見えません。
後者では「何人担当してもらえば元が取れるか」という、社長が動かせる宿題に変わります。
もし新人のスタイリストが月に120人を担当できるようになれば、MQは86万4千円増えます。
Fの増加35万円を引いても、Gは51万円あまり増える。
いまの利益52万円が、ほぼ倍になる計算です。
人件費は、削ると同時にMQも削ってしまう数字です。
逆に、正しく増やせば、Fが増える以上にMQが増える数字でもある。
私はこれを「投資」と呼びたいと思っています。
投資には、回収の期間がある
ただし、ここで話を終えると、少し無責任だと思います。
新しく入った人が、初月から一日2人を担当できるわけではありません。
技術を覚え、お客さまに顔を覚えていただき、指名がつくまでには時間がかかります。
かりに最初の半年は月30人ほどだとすると、MQは21万6千円。
Fの35万円には届かず、半年間で約80万円ぶん、Gが減ります。
これが、投資の「元手」です。
教育にかける時間や、先輩スタイリストの手間も、そこに含まれています。
投資と呼ぶからには、この80万円をいつ、どうやって回収するかまで、先に紙に書いておきたい。
後半の半年で月80人になれば、一年が終わる頃には元手を取り戻し、そこから先は利益に変わっていきます。
「人件費が怖い」というのは、私の見るところ、この回収の絵が描けていないときの感覚です。
絵が描けていれば、怖さは「見張るべき数字」に変わります。
席は、空いていますか
もうひとつ、社長にお聞きしたことがあります。
「いま、お断りしている予約は、月に何件ありますか」
一人増やしても、お客さまが増えなければ、増えるのはFだけです。
いまのスタイリストの手がまだ空いているのなら、一人増やす前に、その空いた時間を埋めるほうが先です。
逆に、予約を断っている数が月50件を超えているなら、新しい人が担当する「一日2人」は、すでにお店の外で待っています。
社長は、予約帳をめくって数え始められました。
ここ三か月、月に60件から70件、お断りしていたそうです。
翌週、社長からメッセージが届きました。
「丸山さん、あの計算、指名料が抜けていました。
うちは指名料が500円つくので、一人あたりのMは7,700円です。
トントンは46人。
一日2人で、少しお釣りが出ます」
私の計算を、社長が直してくださった。
それがいちばん嬉しい知らせでした。
数字が、社長の手に渡ったということだからです。
求人票を書く前に、断っている予約の数を数える。
人件費を「月いくら」ではなく「一日何人」に置き換える。
それだけで、人件費は費用の一行から、利益を生む元手へと、見え方が変わります。
次回は少し趣を変えて、「儲ける」と「利益が出る」は同じことなのか、という言葉の話を書いてみたいと思います。
この記事の監修
税理士
丸山会計事務所代表 丸山 和秀(1986年生まれ)
税制支援20年以上、不動産税務、事業承継&M&A、法人資産税、設備投資時の優遇税制を得意とする。
「ともに未来を描く」を経営理念として、お客様と一緒に未来を描くことができる、提案型の“攻める税理士”として、経営ビジョンやニーズに寄り添い、適切なタイミングで、お客様のお悩みを解決するご提案を行う。


